西宮市民祭り
猛暑の夏からやっと朝夕は涼しい風が吹くようになり、 暑さに弱い人にとってはホットしている事でしょう。 一方この暑さで南アジア独特のスコール(集中豪雨)が日本でも当たり前のように発生して、 まるで日本は赤道直下のタイ、 マレーシアになったようである。 これも温暖化の影響なのだろうか? 河川の急激な増水、 地下水道の逆流による道路への冠水等何時起こるかわからない危険な水害に見舞われる夏を過ごさねばならない日本の昨今である。
さて、 こんな不安定な天候下、 時々急なスコールが降る中で西宮市民祭りが開催された。 盆踊り、 地蔵盆等長く日本の伝統行であった行事が段々少なくなる中で、 市民祭りとして継続しているのは市当局に協力している熱心なボランティアの方々がいるからであろう。 当日も小学生から大学生までの若者、 中高年の町の人たちの活躍が見られた。当日のそれぞれの人たちの活躍振りをスナップ写真に撮った。
1. 学生ブラスバンドによる行進。
2. 或る中学校のバンドによる演奏。 阪神タイガースの応援か「六甲おろし」の演奏で観客から大きな手拍子と拍手があった。
3. 市役所玄関前には北京五輪参加の阪神タイガース矢野、 新井選手の天幕が飾ってあったが、 五輪での惨敗でむなしく垂れ下がっていた。
4. 昔懐かしい「だんじり」が数台行進していた。
5.中高年の男女による太鼓ばやし。 なかなか迫力があった。 相当練習したのでしょう。
6. おじさん、 おばさんに負けじと少女達のロックダンスは中なのもの。
会場案内にもイヴェントのスケジュールが記載され、 時間を無駄にせず見物出来たのは良かった。 少しずつだが秋の気配も感じられ、 本格的な秋はもう直ぐそこに来ている。
神戸、 八宮神社巡り
ある大学のセミナーで神戸に一宮から八宮までの八つの神社があると聞き、 興味を持って調べて見た。 神戸市の中央区を中心に生田神社を囲むように点在していた。 一から八宮まで順に巡ると厄除けになると云われている。 生田神社の末裔(まつえい)で、 天照大神と「すさのおおのみこと」(PCの漢字辞書にないのでひらがなで記入)が剣玉を交換して誓約した時に生まれたという三女、 五男が、 それぞれに祀られている。
先ず、 八宮の祀られている神々とその所在地を示す立て看板があった。
中央区に六神社、 兵庫区に二神社点在し、 それぞれ祀ってある神々の名前が表示されている。 我々凡人には覚えのない神々ばかりであった。 創建年代は余りにも古く、 西暦201年神功皇后が朝鮮出兵した帰りに巡礼した順に社名に冠したという伝説があるようです。
一宮神社 : 祭神は田心姫命(たごりひめのみこと)、 交通安全、 縁結びの神。 旧北野村の氏神。
二宮神社 : 祭神は天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)、 勝運、 修験の神、 旧葺合区の氏神である。
三宮神社 : 祭神は揣津姫命(たきつひめのみこと)、 交通安全、 商売繁盛、 知恵授けの神、 旧神戸村の氏神。 神戸大丸の北側にあるので皆さんも良く見かける神社。 明治元年神戸事件の発生地として知られている。
神戸事件 : 1891年日本訪問中のロシア帝国皇太子、 ニコライ(後のニコライ2世が巡査、 津田三蔵に突然斬りかかられ負傷した暗殺未遂事件。 同行していた威仁親王の機転で明治天皇に直ちに連絡して、 敏速な対応をしロシアとの友好関係を深めた事と日本の行政の干渉から司法を確立し、 三権分立を広めた近代史上重要な役割を果たした事件である。
四宮神社 : 祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)=弁財天、 芸能の神、 花隈芸者の名付神とも云われている。 旧花熊村の氏神。 1558年花隈城の築城の際、 武将、 荒木村重より幣帛が献上された。
五宮神社 : 祭神は天穂日命(あめのほひのみこと)、 厄除け、 国家安穏、 家内安全、 五穀豊穣の神。
六宮神社 : 祭神は天津彦根命(あまつひこねのみこと)、 厄除けの神、 旧坂本村の氏神。 明治42年(1909年)楠中学新設により、 八宮神社に合祀された。
七宮神社 : 祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、 航海海上安全、 土地開拓の神。
八宮神社 : 祭神は熊野杼樟日命(くまのくすひのみこと)、 厄除けの神、 旧坂本村と旧宇治野村の氏神。
以上この炎天下の猛暑の中汗だくになって巡礼してきました。 大都会の中に埋もれてひっそりとしたたたずまいで現在まで綺麗に保存されているのを観て、 地域の人達の信仰心の深さを感じました。
武庫川周辺散策
JR甲子園口駅から南に800メートルばかり歩くと緑に囲まれた閑静な住宅地がある。 この辺りは武庫川の西側サイクリングロードをサイクリングしての帰り道になる。 この地域に阪神間で縁の深いフランク・ロイド・ライトが設計に携わったという建物がある。 所謂旧甲子園ホテルである。 1930年に竣工、 その後米軍に接収されたりした後、国が接収し、 1965年に武庫川女子大学が譲り受け、 現在同大学の甲子園会館として再生されている。 実際の設計はライトの愛弟子、 遠藤新氏が行った。 当時は東の帝国ホテル、 西の甲子園ホテルと並び称され、 阪神間の高級社交場として賑わったそうである。 戦前は菊池寛、 徳富蘇峰の定宿でもあったり、 井上靖の小説「射程」にも出てくる。 満州国、 ラストエンペラー、 溥儀や米国メージャーベースボールプレイヤーのベーブルースも来館した事がある伝説のホテル。
この甲子園会館の直ぐ北側に松山大学温山記念会館(旧新田邸)がある。 甲子園会館と共に周辺の住宅街に見事に溶け込んでいるのが素晴らしい。 この洋館建ての建築は松山大学の創立に私財を投じて新田長次郎という実業家が長男のために建てた住宅。 建築家木子七郎しが設計し、 重厚な木彫りの玄関扉や優雅な曲げ加工の階段手摺、高い格天井などが美しい。 当時では皇族方、 政治家を数多く迎えたゲストハウスでもあった。 この周辺の優雅で落ち着いた雰囲気は格別である。 サイクリングの帰途涼しい木陰で休憩しているとセミの鳴き声がいやにやかましいが、 私の好きな場所である。
建築家ライトの設計した建物としては芦屋市にもヨドコウ迎賓館がある。 ライトが1922年帝国ホテルの設計の為に来日した時に山邑家の別邸として設計された。 灘五郷の造り酒屋、 山邑太左衛門の依頼でライトが1947年に設計。 1947年から淀川製鋼所が所有し、 社長公邸とか独身寮として使用された。 ライトが設計した建築物としては、 日本に完全な形で現存する唯一の作品という。 一階玄関車寄せ正面にに見える「吊り床」や玄関から芦屋市内と海が見渡せるベランダは、 周辺の壁が丁度額縁の役割をして、 一枚の風景画にも見えるアイディアたっぷりの造りが興味深い。
以上の様に阪神間には先人が残した沢山の見るべき建物がある。 日頃何気なく通り過ぎている街角にも興味を持ち散策するとより楽しいですね。 掲載した写真はクリックすると拡大し、 写真左上のツールバーの「戻る」をクリックすると元の大きさに戻ります。
芦屋、 西宮文学散歩
モダンと古風、 洋と和がミックスした阪神間は意外に文学の宝庫なのである。 谷崎潤一郎、 井上靖、 宮本輝、 村上春樹、 遠藤周作と阪神間を舞台に描かれた作品は多い。 今日は阪神間の文学散歩をしましょう。
先ず何と言っても、 谷崎潤一郎だ。 阪急電鉄、 岡本駅近くの旧宅は現在無い。 芦屋市の松の内町に再建される見通しで、 洋、 和、 華三折衷の建物であったが阪神大震災で崩壊したのが残念である。 芦屋市伊勢町に芦屋市立記念館がある。
阪急電鉄、 芦屋川駅近くに「重信医院」がある。 「細雪」の四姉妹の主治医、 櫛田医師のモデル。 三角屋根のモダンな洋館で、 物語の時代を彷彿する。
二番目に挙げられるのはやはり大正初期のホトトギス派俳人「高浜虚子」でしょう。 その記念館が芦屋浜近くに建てられている。 正岡子規亡き後のホトトギス派の中心人物としての活躍は子規以上のものがあるという。 俳人達が詠んだ俳句が壁の埋め込みにずらりと並べられて、 俳句記念館らしい雰囲気を漂わせている。
遠藤周作は夙川カトリック教会で10才の時に洗礼を受けたという。 「黄色い人」など、 カトリック作家としての遠藤文学の原点とされている。
芦屋市岩園町にある「いかりスーパー」は、 平中悠一の「シーズ・レイン」の映画版でヒロインの神戸女学院生が買い物に来る場面に再三登場したらしい。 今もスーパーの正面には大きな「錨」が飾ってある。
足を少し東に向けて、 西宮市平松町に行くと、 マンボウの「ミニトンネル」がJRの高架下に現存している。 周辺の住民の貴重な生活道路だ。
高さがかなり低く現代の背の高い人には頭上が気になる。 この時代日本人は本当に身長が低かったのか?
阪神香櫨園駅周辺では宮本輝の「錦繡」で、 ヒロイン亜紀がこの香櫨園駅をよく利用した。 駅近くにモーツアルトのレコードを聴かせる喫茶店「モーツアルト」があるとされ、 探しに来る人もいるらしいが実在しない。 また、 井上靖の「明日来る人」には香櫨園在住の実業家が主役で、 夙川沿いが登場している。
上記以外に、 小説家では野坂昭如の「火垂の墓」、 香櫨園浜近くの回生病院ヶ登場する。 村上春樹は香櫨園小学校、 精道中学卒らしい。 画家では大石輝一、 阪急沿線、 夙川に「カーサ・ラ・パボーニ」という名の喫茶店(ラウンジ)を奥さんと経営。 山下清が居候したり、 夙川育ちの小松左京なども良く訪れたらしい。 まだ現存するのか不明。 何方かご存知でしたら教えて下さい。 詩人では富田砕花も芦屋に関係がある。
真に多士済々である。 皆さんも阪神間の文学に認識を新たにされたのでは? この内容は阪神シニアカレッジでの夙川学院教授、 河内厚郎氏の講座で受講したものを一部借用しました。
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城北公園花菖蒲園
私がこの世に産声を上げたのは、 今日訪問した城北公園から徒歩で約10分の処である。 実にほぼ50年ぶりに行った事になる。 この城北公園近くにいたのは私が小学校4年生迄で、 その後明石市に引っ越した。 この菖蒲園は昭和39年に出来たというから、 私が覚えているのは極くありふれた公園の印象しかない。 淀川が近くにあり、 流れが結構速く、 深みにハマると溺れ死ぬ事故もあったので、 親には水泳禁止を言われていたが親の目を盗んで泳ぎに行ったのもである。 何時の間にこんなに菖蒲が群生するようになったのだろう。 実に見事な花菖蒲だった。 見頃を少し過ぎていたのが残念であった。
群生している花菖蒲には江戸系、 伊勢系、 肥後系の三種類がある。
江戸系 : 葉先より花が抜きんじて咲く。 品種も多く、 花形の変化に富む。
伊勢系 : 葉先に見え隠れして咲く。 淡色が多く、 花の姿が優しい。
肥後系 : 大輪で豪華な花形で、 花色は濃い目が多い。
江戸系の花菖蒲
伊勢系の花菖蒲
肥後系の花菖蒲
入口を入ると直ぐにお堂が見えて、 一面の花菖蒲が広がる。 菖蒲の群生している正面にはお堂風の建物がある。 菖蒲に丁度マッチした形の良い形である。
後は9種類の花菖蒲の花びらを掲載しました。
園内には250種、 13,000株の花菖蒲が栽培されているとの事。 見頃を少し過ぎてはいるがまだ見れる。 一度行って見る価値はある。
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鉢植え花木が占有する下町路地。
我が街は香櫨園浜(御前浜)に近いせいか、 「浜」の名がつく町名が多い。 西から、 大浜町、 前浜町、 浜町、 浜脇町、 浜松原町、 東浜町といった具合。 かっては西宮漁港があり、 (今はヨットハーバーになっているが)、 漁師が多く漁業を営んでいた土地だからだったからでしょう。 最盛期は鰯などが水揚げされ、 バケツ一杯単位で浜辺で買えた。 私が住む町は昔は狭い路地が縦横に走っていた。 一方夙川に近いところには、 大手企業の海の家、 保養所、 社宅、 テニスコート等が沢山あったが、 今では企業もその土地、 建物を売却し住宅地となってしまった。
そんなある日、 この下町を久し振りにゆっくり見てみて、 まだ昔ながらの風情が残っており、 その雑然とした中にも整然とした下町に住む人たちの一定の清潔感を感じられる路地を散策してみた。 家の玄関に所狭しと壁に沿って植木が植えられている。 一見雑然としているが、よく見るとちゃんと手入れが行き届いているのだ。 しかしよくここまでと驚く。
下町特有の路地。 人一人がやっと通れる幅まで向かい合わせの御家の玄関には路地の半分以上を占有して植木が山とひしめき合っている。 しかし、 通り過ぎる人たちは誰も苦情を言わずに四季折々の草花を見て楽しんでいるようである。 先ずこの狭い路地を顔見知り同士が挨拶を交わしながら行き交う挨拶道路だ。
今は紫陽花の季節。 これからが梅雨にかけて最盛期。 そのはしりの花が路地にひっそりと咲いていた。 いよいようっとうしい梅雨の季節が到来した。 夏にはこの狭い路地が以外に涼しいのをご存知でしょうか? 夏日の暑い午後でも日陰になると路地を涼しい風が通り抜けるのである。 各家の玄関ドーアーを網戸に変えて、 風を取り入れている家が多い。
お年寄りが夏の午後家の前に腰掛を出して涼んでいる姿をよく見かける。 我々子供の頃はおじいちゃん達が長椅子を出して、 将棋とか囲碁をしていた姿が懐かしい。 今はその光景も見られなくなった。 老人が増えいるのに何故だろう? 皆さん公民館等の冷房施設が完備された場所に移動したのかも?
いよいよ梅雨の季節到来である。 朝から一日雨の日の過ごし方を考えねば・・・ やはり日頃ご無沙汰している読書をしっかりやるか!
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春爛漫の桜夙川と浜夙川
4月6日はまさに最高の花見日和でした。 暖かい好天で桜が一挙に満開、 人出も最高! 恒例の西宮ジャズ8デイズの始まりで夙川公民館、 松下記念ホールではジャズの演奏会も開かれ実に楽しい1日でした。 JRの「さくら夙川」駅が開通以来、 花見客がどっと増えて、 国道2号線から南側の夙川オアシスロードの人並みは最高潮でした。 それまでは結構穴場で比較的人通りが少なく、 満開に咲くあの桜の木のトンネルを心行くまで眺められたのが、 いまや立ち止って桜を見上げるにはタイミングよくやらないと人にぶつかるほどになってしまった。 JR西日本も阪神電車もかなり売り上げが伸びたのでは?
先ず、 桜夙川近辺の様子を掲載しました。 青空が素晴らしいでしょう。
酒蔵通りから南側もごらんの人出で、 家族ずれ、 若者のグループ、 若いカップル等で大賑わいでした。
この景色は浜夙川定番の場所、 甲山を望む四季折々の景色が私の大のお気に入りです。
中央図書館付近の翠橋も小説の舞台になった由緒ある場所。 昨年だったかお色直しがされました。 少しきれいになってます。
雪柳も桜と同時に満開でした!
今年も夙川の桜を楽しみました。 次は5月初め頃からの新緑が楽しみです。 爽やかな風と新緑を背景に鯉幟が沢山見られます。
猛虎軍団の優勝祈願
今日、3月26日、 西宮神社で阪神タイガースの今年優勝祈願式が行われた。 広島から新井が入団、 新井、 金本、 今岡の新クリンアップで何処まで本塁打、 打点が出るか、 JFKは今年も頑張ってくれるのか、 先発陣、 久保田、 杉山、 老練下柳、 福原等が最後まで踏ん張れるのか等々期待と心配が尽きない。 今年も西宮戎さん、 タイガースの優勝応援たのんまっせー。
1。 全員、 本殿で祈願
2. 岡田監督、 しっかり選手掌握して、 心を鬼にして選手叱咤、 激励頼むよ。
3. 鬼コーチたれ! 平田、 広沢、 和田さん、
4. 主力メンバー、 ベテランの下やん、 矢野ちゃん - 今年現役最後と思って発奮頼むよ。
今岡、 檜山ちゃん、 タイガース生え抜きやで、 男になろうや。
久保田、 藤川、 今年も昨年以上にしっかりと締めてや。
金本兄貴、 新井をミスタータイガースに育ててや。
鳥谷、 伸び悩んでいる気配やけど、 ぜひとも今年大きく飛躍して欲しい一人。
ちょっと期待が大きすぎるかなー? しかし、 期待せずにはおられない虎キチの一人なのだ。
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北帰行
毎年3月初めから中旬にかけて、 香櫨園浜に来ていたユリカモメが北に帰る光景が見られる。 今年もその季節到来。 昨年11月頃からほぼ3ヶ月滞在して、 また遠いシベリヤ辺りまで帰るのであろうか? あんな小さい体で何千キロという遠い距離を飛び続けるなんてその体力には驚愕するばかりですね。 また例年もいらっしゃいと声を掛けたい気持ちであった。
一羽が飛び立つといっせいに他のユリカモメが飛び立つ。 何処の世界でもリーダーがいて、 団体行動が取れるんですね。
後に残ったのは夕日で黄金色に輝く海面に浮かんでカルガモやサギ類の野鳥がユリカモメを見送っているのでしょうか? 来年も再会するのでしょうか?
香櫨園浜も渡り鳥が北に帰り、 浜夙川にいよいよ桜がまもなく咲く頃になりました。 テニス仲間と桜の木に下で飲み会をするのが楽しみだ。
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大阪城の梅
十数年振りで大阪城公園の梅林を訪れた。 寒い日の午後で、 時折氷雨が降る生憎の天候のなか震えながらシャッターを切った。 ここはやはりお城を背景に梅を撮らねばと色んな角度から撮影したが、 お城に焦点を合せた場合と梅に合せた場合で、 露出の光度が異なり、 お城と梅をバランスよく撮影するのに苦労した。 その努力の結晶をご覧あれ!
次は石垣と梅、 石垣の石の大きいのが有名な大阪城なので、 石垣を外せない。
品種の多さで有名な大阪造幣局の桜と同じように、 大阪城公園の梅も種類が多い。 ちょっとピークを過ぎた感じがするが可愛い梅が咲き乱れていた。
非常に寒かった今年の冬もいよいよ終わりだ。 10日の週からは一挙に暖かくなるという天気予報が出ているが、 当たってほしいものである。 寒さに弱い私にとってやっと待ちに待った春であり、 あと二週間ほどで咲く桜が楽しみな昨今である。
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新西宮ヨットハーバー夜景。
いよいよ今年最後のページとなりました。 今年2月はじめにこのブログを初めて来月で丁度一年になります。 一度始めると後のフォローが大変かなーと思いながら振り返ればあっといまに過ぎ去った一年でした。 一年間をとして私の拙いブログを覗いて下さった方々に御礼を申し上げます。
さて、 今年の最後を締めくくって、 毎年12月のクリスマスイブに点灯される新西宮ヨットハーバーに停泊中のヨットにライトアップがされ、 そのデザインを競い合い、 優れたライトアップされたヨットに投票が行われ、 順位が決められます。 今年も沢山のヨットのオーナーが参加したとの事でした。 年末恒例の行事です。 本当にきれいですね。
西宮ヨットハーバーは「太平洋一人ぼっち」でたった一人で太平洋横断を成し遂げた海洋冒険家「堀江謙一」さんの母港です。 彼の住まいも芦屋浜にあるマンションで時にはヨットハーバーで見かけることがあります。 大変気さくな方ですね。 ハーバーにはかなり高級な大型ヨットがずらりと並び、 その景観は素晴らしいです。 春とか秋には我が家からぶらりと散策に出かける人気コースでもあります。 ヨットにライトアップというちょっと面白い雰囲気を楽しんで下さい。
堀江さんが乗ったヨット、 「マーメイド号」の初代はヨットクラブハウスから徒歩で5分の西宮貝殻館に、 一方クラブハウス正面には写真にあるように「サントリーマーメイド号」(4-5代目?)が展示されています。 クラブハウス南側のテラスでコーヒーでも飲みながら、 豪華ヨットの整列を眺め、 のんびりした時間を過ごすのもいいものです。
それでは皆様、 良い新年をお迎え下さい。
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藤の花
5月と言えば新緑と同時に藤の花が咲く季節です。 今年初めて奈良の春日大社の藤を見てきましたが、 期待してた程長くて大きくは無かったですね。 埼玉県に一時期居た頃に東武野田線の「藤の牛島」というところの藤は見事でした。 樹齢何百年か忘れましたが大きくて、 藤棚から長く垂れ下がり地面まで届きそうでした。 今までみた藤で一番立派な藤でした。 さて、 春日大社の中にある「神苑」にある藤は大きさはそれほどではありませんが種類が多かったです。 紫色、 白色、 ピンク色と色鮮やかさが見事でした。 見に行った日がちょっと早かったようで、 あと一週間程度遅ければもっと色も鮮やかになっていたのではと残念でした。 神殿の前にある藤は「砂づりの藤」といい、 花の穂が地面の砂に触れるほど長い事からこの名がつけられたそうです。 神殿には藤の紋様が用いられ、 奈良朝以来境内の藤は大切にされているとの事。 5月は色んな花が咲き乱れ百花繚乱の時期です。 花の名所をいろいろ訪ねるのも楽しいですね。 次回は六甲山の紫陽花を取り上げようかな?
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新緑の五月
- 新緑の五月。 秋とともに五月は一年中で一番良い季節である。 桜の満開の豪華絢爛と比べて、 目に鮮やかな新緑はこれからの夏に向けての生命の躍動を感じる。 久し振りに京都、 嵯峨野をレンターサイクルでサイクリングをしてきた。 爽やかな風を切って、新緑を眺めながら嵐山の渡月橋から落柿舎、 俳人去来の墓、 檀林寺から祇王寺までを緩やかな坂道を登りながら健康的な汗が心地よかった。 落柿舎の前にある広々した蓮華畑は小、中学生時代に蓮華の花輪を作って遊んでいた頃を思い出し、 久し振りに童心に返った。 この落柿舎では一緒に行った友人が私のデジカメで移した動画、 夙川の桜の花びらが夙川に落ちてユックリと流れている様子を見て「花筏遅速あるごと無きがごと」と一句。 古びた庭の片隅に名前は知らないが黄色の小さな花が咲いていて、 その横の
句碑に「十
三畳半の落柿舎冬支度」一句。 その後、 檀林寺の門前で見たもみじの鮮やかな黄緑はまさに目にしみるようだ。 祇王寺では日本ではめったに見られないと言う「ヒマラヤブルーのけし」の花が一輪だけポツンと苔むす庭園に咲いていた。 ブルーの色が見事に映えていた。 これから五月末頃まで爽やかな五月晴れの多い日が続く事を望む昨今である。 それぞれの写真はカーソルを見たい写真に持って行き、 クリックすると拡大します。 元に戻すにはツールバーの「戻る」をクリックする。
有馬温泉
今日は阪神間で本当に身近にある有馬温泉にご案内。 有馬温泉は神代の昔大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこのみこと)の二神が、 三羽の烏が湧き出した泉で傷を癒しているのを見つけて温泉を発見したと言われている。 「日本書紀」にも舒明天皇(631年)や孝徳天皇(647年)が御幸したとの記録があり、 日本最古の温泉とも言われている。 後に太閤秀吉が湯治の為に度々有馬を訪れ、 戦乱や大火で衰退したありまの改修を行い、 湯山御殿を建てて有名になった。
有馬温泉は阪神間から車でせいぜい40分から1時間内で手軽に行ける場所にあるのが最高にいい。 15年ほど一時期関東に住み、 阪神間に帰ってきてからは、こんなに近くで金泉、銀泉に浸れる温泉があることの有り難さを感じております。 一年に4回程度一泊、 二ヶ月に一回位は日帰り温泉行きと今は病みつきになってしまいました。 しかしいつも旅館に泊まり、 温泉だけに浸かって帰ってきてましたが、 今年初めて有馬の町を歩き回り、 色んな泉源が有り、 その数が結構多いのに驚きました。
美人が近くを通るたびに嫉妬してお湯が吹き出たと言われている妬泉源、
秀吉が造らせ湯殿に金泉を送ってと言われいる「極楽温泉」
天神泉源
思い出すだけでも上記三つの泉源、 いずれも驚くほどの勢いでお湯と湯気を噴出させていました。 現在地下何千メートルも掘って、 そこから温泉を採った天然温泉が西宮、 宝塚、 尼崎等のあちこちに出来ました。 しかし有馬温泉は本格的な温泉の一つで、わざわざ時間と費用をかけて遠くの温泉に行く必要を感じません。 このように有馬温泉行きが楽しみの一つとなっています。
なを、 最初の写真は、 奈良時代行基上人が724年に建立、 有馬温泉中興の祖仁西上人と共にそれぞれの像が祀られている「温泉寺」である。
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春だ!、 桜だ!、その2
先号に引き続き桜特集です。 ソメイヨシノが満開を過ぎ、 八重桜が満開の時期となりました。 今年の夙川は「さくら夙川」新駅の影響か阪神「香櫨園」駅から南へのオアシスロードを海岸まで足を延ばす人が大変多かったですね。 先週の日曜日は大変な数の花見客でごった返し、 近辺の人たちも驚いていました。 今年も桜の季節も終わり次はいよいよ新緑の季節です。 しかし、 このまま桜とお別れするのもさびしい限りで、 本号では今年撮影した桜花をさらに掲載して、 来年再びめぐり来る桜の開花を待ちましょう。
上記の写真は醍醐寺の枝垂れ桜、 京都府立植物園の夜桜です。 ライトアップ銅像は「帽子を持つ少女の像」で銅像が照明で美しく輝いていたのを撮影。 その隣は夙川オアシスロードの桜トンネルです。 下段は嵐山「天竜寺」で見た一本の桃の木に紅白の花が咲いた珍しい桃花です。 本当に花って色んな表情をしてますね。 それぞれの写真はカーソルを見たい写真に持って行きクリックすると大きくなります。
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さー春だ! 桜だ!
一時はかなり早咲きと予想された桜の開花も、 終わってみれば平年並みでしたね。 近場の夙川沿いの桜も満開! でも、 今回はちょっと足を伸ばして京都の「醍醐寺」と「京都府立植物園」の桜を見て来ました。 4月4日でした。 この日は寒の戻りでなんと冬の寒さ。 空もどんより曇り折角の桜の鮮やかなピンク色が曇り空に吸収されてさっぱりでした。 撮った「枝垂れ桜」も肉眼で見た方がはるかに綺麗で、 期待はずれの出来栄えでがっかり(これは醍醐寺の枝垂れ桜)。 一方夜桜のライトアップは「植物園」です。 寒さが一段と厳しい夕暮れの寒さに震えながら撮った力作を(?)ご覧下さい。 夜桜がライトアップされて、 鮮やかな姿を浮かび上がらせています。 京都には「枝垂れ桜」の名所が多いですね。 醍醐寺もその一つでしょうが天候により桜花の写り具合が大いに左右される事を痛感した次第。 被写体として「枝垂れ桜」は特に取り難いと思いました。 色具合以上にどこに焦点を合わせばいいのか、 又カメラアングルも非常に迷います。 期待したような写真は取れませんでした。 結局「枝垂れ桜」は見て楽しむのが一番でしたね。 植物園に行ったのでついでに蘭の花も撮って来ましたので鮮やかな、 綺麗な花びらをご覧下さい。 心が癒されるでしょう。 これか ら5月にかけて色んな花が咲きそろう
一年で一番花が多い時期になります。 散歩していても道端でひっそりと咲いている花を見るのも楽しみの一つですね。 サー、 季節は良し、 散策に出掛けましょう。! 掲載の写真はカーソルを写真に持って行きクリックすると拡大写真を見る事が出来ます。
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さくら夙川駅
3月18日JR西日本、 さくら夙川駅がオープンしました。 まさにこれからさくらの季節という時期にタイミングがいいですね。 我が家からJR西ノ宮駅までの距離のほぼ半分程で行けるので、 これからJRを利用しやすくなりました。 しかし、 運賃は阪急、 阪神と比べると例えば大阪まではJRが割高なのが少し気に食わないですね。 この駅は夙川のさくら見物には絶好の位置にあります。 駅から西へ5分で夙川の堤に出ます。 そこは「夙川さくら道」、 国道2号線から夙川に沿って北へ約2キロ。 夙川沿いを同2号線から南へ海岸までを「夙川オアシスロード」。 西宮市民のオアシスになっています。 このオアシスロードは昭和46年8月に「緑の遊歩道」として国道2号線より南に1.8キロに完成したのが始まりです。 また、 「夙川さくら道」は現在の銀水橋から南に国道2号線までをいいます。、 オアシスロード、 さくら道ともに昭和24年約千本のさくらの若木が「植えられました。 その後「さくらの名所百選」に選ばれ、 毎年春には大勢のさくら見物の人で賑わいます。
今日夙川沿いに散策してさくらの木を見てきましたが、 つぼみはまだ固しでした。 気象庁の予想外に早い開花宣言で花見の宴会日を設定したらその後に変更宣言が出て、 慌てて1週間ずらしました。 さて期待通り予定日に咲いてくれるでしょうか? 当日まで気がもめることです。 サー、 これからどんどん季節が良くなります。 オアシスロード沿いに咲き始めた「ゆきやなぎ」が綺麗に、 柔らかい春の日差しを浴びて輝いてました。 心が弾みますね。 冬の寒さが大嫌いな私にとって待ちに待った春です。
それぞれの写真は見たい写真にカーソルを持って行き、クリックすると大きくなります。
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香櫨園の名前の由来。
先週からテンプレートのデザインを「虎」に変更。 プロ野球のオープン戦もいよいよ始まり、 我が阪神タイガースも始動。 虎年で、 虎キチとしては胸わくわく、 今年の優勝を祈願して「虎」を挿入しました。 見るからに強そうでしょう。 でも、 井川が抜けた投手陣がも一つパッとしないのが気がかりですね。 さー、 応援しましょう! さて、 香櫨園は遊園地であった事は先週号で記載しましたが、 名前の由来を調べてみまた。 その結果、 明治時代のお二人の名前の頭文字を一字ずつとって名付られたのです。 即ち、 明治39年ごろから、 大阪北浜の佐藤商人の香野蔵治氏と櫨山(はぜやま)慶次郎氏は、 現在の阪急夙川駅周辺が素晴らしい景勝地であるこの一帯の土地(当時はまだ松林と草地であった)を購入し、 このお二人の頭文字、 香と櫨をとって香櫨園と名付け、 明治41年4月にこの遊園地を開園。 一時は大変人気あったが、 大正2年には寂れて閉鎖された。 その後今の香櫨園小学校周辺を香櫨園と呼ばれて現在に至る。 この地域で香櫨園と呼ばれる場所は今では阪神電鉄の駅と香櫨園小学校, 香櫨園テニスクラブだけのようで町名とか正式な地域名では残っていない。
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香櫨園はどこの地名?
「香櫨園ってどこの地名?」と聞かれて一瞬「えっと!」と考えてしまったことがある人結構いるんじゃないでしょうか? 私もその一人です。 阪神電鉄の「香櫨園駅」は有っても地名はどこにも無い。 「何故?」と思ってそのまま深く考えずに過ごしていたら、 最近孫に聞かれて、 慌てて調べた次第。 明治38年に大阪ー神戸間に阪神電車が開通して、 同40年に香櫨園という遊園地が開園し、 その開園にあわせて阪神電車の香園園駅が出来た。 即ち香櫨園という遊園地の名前がそのまま残ったのである。 この遊園地はかなり広く、 羽衣町、 霞町、 松園町にまたがっていて、 現在のJR線北側、 夙川公民館(片鉾池)辺り一帯がその所在地だったようです。 ウォーターシュート、 メリーゴーランド等が当時としては非常に珍しく人気も有ったのでは? 何時閉園になったのか判りませんが、 どなたかご存知の方いらっしゃれば教えて下さい。 明治40年頃の香櫨園駅付近と遊園地、 現在の駅の写真を掲載しました。 今はモダンでしゃれた駅舎になり当時の面影は全くありません。 それでも現在では「香櫨園」という名前、 それなりに阪神夙川付近のイメージとして残っていますね。 上記写真にカーソルを持って行き、 クリックすると大きくなります。
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西宮今津灯台。
西宮今津港は江戸時代初期には江戸まで3週間から1ヶ月かかって西宮郷のお酒を運んでいました。
この下り酒は江戸、 品川港、 茅場町、 新堀、 新川で陸揚げされ、 下り酒問屋に納められていました。 幕末頃には新酒番船で速度も速くなり、 輸送期間も3-4日に短縮されたそうです。 このお酒の出向を見守ってきたのが今津灯台です。 この灯台は文化7年に西宮今津郷、 大関酒造、 五代目の長部長兵衛によって建立、 安政5年に再建されています。 現在もこの灯火灯台は利用されているようですが、 最近の海岸の埋め立てで西宮、 今津の海岸線がだんだん遠くなり、 色んな工場群の中に埋もれています。 それでも昔の面影は少しでも残しているようです。 たまたま明治40年頃の今津灯台とその付近の写真を見かけたので掲示。 灯台の周辺は海岸の砂だけで建物らしい物は何も無いですね。 周辺の景色は現在の姿からは想像が出来ませんが、 灯台は今と同じように見えます。 さて、 或る日冬の日の天気の良い夕暮れ、 夕日に映えて美しいシルエットを見せていましたので思わずシャッターをパチリと切ったのが上記の3枚の写真です。 見事な曲線を見せていますね。 何時までも今津のシンボルとしての存続を願って灯台を離れました。 掲載の写真はカーソルを写真に置きクリックすると拡大します。
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あるお地蔵さん。
前回の記事で西宮砲台の建設者を坂本竜馬と記載しましたが、 勝海舟の間違いでした。 私の勘違いで、 先輩より訂正を頂き深謝。 その先輩から昭和40年ごろに撮影された砲台の写真を頂きましたので、掲載しました。 レンガ模様で今のモルタル張りのようなのっぺりした壁でなく、 立体的で如何にも古跡という雰囲気がしますね。 だけど、 結構荒れていて荒れ砲台と揶揄されていたそうです。
さて、 今日は或るお地蔵さんのお話です。 夙川オアシスロードを浜夙川から北上し、 阪神香櫨
園駅を過ぎ、 国道二号線の直前、 右側に黄色の毛糸の帽子をかぶったお地蔵さんがあります。 私は以前から面白いなーと思いながら何時も通り過ぎていたのですが、 或る日或る人からこのお地蔵さんのいわれを聞きました。 真意のほどは判りませんが、 阪神大震災の時にお地蔵さんの或る近辺の方が不幸にも犠牲になられた方々を弔おうとして作られてらしいです。私は今まで何気なく通り過ぎていましたが、 よく見ると結構な数の古い墓石がその横に小さなお地蔵さんとともに置かれています。 これ等の無縁仏の墓石は震災の時に崩れた夙川の土手の中から見つかり、 これ等をご近所の方が地蔵さんと一緒に安置して、その後ずっと見守られてきているようです。 花も絶えることなく生けられて、 オアシスロードを散策散策される人々の目を楽しませています。 私もその一人です。 最近の世の中では子供たちの虐待のニュースを聞かない日は無いというほど多いですが、 子供たちが幸せにすくすくと育つことを祈りながら、 お地蔵さんに手を合わせては如何?
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西宮砲台
寒さに弱い私にとって暖冬は大変有り難い気候だったのが、 2月には入った途端にこの寒さ、 一体何なのでしょう? やはり2月は寒い月ですね。 それでも今週前半
は暖かさが戻りそうでホットしてます。 さて、 今日は香櫨園浜(御前浜)にある西宮砲台を紹介します。 西宮に住んでおられる方はご存知ですが、 市外の方には意外に知れていないようです。 明治の初めに勝海舟が設計して建築されたものですが、 実戦には使い物にならなかったようです。 理由は大砲を発射した時に出る発煙で煙が砲台内に篭り、 とても長居が出来なかったのです。 なんだかのんびりした時代の産物ですね。 それでも当時にこれだけの砲台を作るには相当の資金と尽力を費やしたでしょうね。 今では訪れる人も少なく、 ひっそりと松林の奥にたたずんでいます。 鰯や太刀魚がたくさん取れた小さな漁村時代を経て、 私が子供の頃に泳いだ海水浴場、 今では若者達のヨット、サーフィン、 水上スキーを楽しむ姿を見つめてきた西宮の数少ない史跡の一つです。
一方、 いよいよ梅の季節ですが、 暖冬のせいか今年は例年よりかなり早く夙川沿いの側道(川の西側の翠橋から少し南下したところ)で開花しました。 まだほんのチラホラ咲きです。 十数本しかない小さな梅林ですが、 春が近いことを思わせて可憐に咲いています。 (上記写真はクリックしますと大きくなります)
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